彼はデザイナーであり、釣り人。 自分の会社を興し、仕事の傍ら渓流釣りを楽しみ、そして同時に渓流を育む山を愛し護る活動を始めた。
「山里で暮らす人々の知恵や技を紹介し、その逞しさや繊細さを伝えることは出来ないだろうかと。
(中略)
山里の、特にお年寄りの技や心を取材して、絵と文章と何枚かの写真で残す。
ここにこんな人がいて、こんな事を考えて、こんな技を持っているんですよ、と。
そして、こんなにも元気に、こんなにも淡々と日々を生きているんですよ、と。
山里に暮らす人々の応援歌として、山里を出た人々へは故郷や父母を思い出す触媒として見て頂けるようなものに出来たらいいなあと思っています。
ごく普通の人々の暮らしと技。隣のおじいちゃんやおばあちゃんの事を描くように山里の暮らしを描きたい。そして、「私達はあなたのことをずっと記憶していますよ」とエールを送りたい。「山里の記憶」どこまで伝えることが出来るでしょうか。
どうか絵の神様のご加護がありますように。」
そんなコメントから始まったその活動は、ウェブサイトでも公開されるとともに既に何度か展示会を通して披露されてきたが、いよいよこの春その集大成として2冊の本に結ばれるとのこと。
実は自分も同じことを考えている。
後継者不足と言われて久しいここぶどうの産地勝沼であるが、このままでは産地としてどんどん衰退してしまう。
なんとかしてぶどう作りの楽しさを、勝沼暮らしの魅力を発信していきたい、後世に伝えて行きたい、そう思って、例えばぶどう作りの作業や日常生活を記録に留めたいとずーっと思っている。
手段としてはビデオや写真もあって、それらは比較的簡単に記録に残せる。でもなんだかどうしてもそこには魂が宿り難い。単に記録だけ残してもダメなのだ。その記録が、そこに記録されない幾多の記憶を呼び起こすようなものでなければ。手で描いたもの、これに勝るものはない。
一度だけ、今度は勝沼を描いてくださいよ、とお願いしてみたことはあるが、丁重にお断りを戴いた。(笑) でもそれは当然と言えば当然。なぜなら、彼が勝沼で生まれ育った人ではないから。 自分にも人に何かを伝えられるだけの絵心と時間があったら、と嘆いたこともあったが、ぜひこの勝沼で生まれ育った人でだれかこの活動に共鳴してくれる人がいたらぜひ進めたいところである。いや、別に勝沼に思い入れのある人なら誰でも構わないのはもちろんである。
とにかく、このままではこの風光明媚なぶどうの里は、人の心も暮らしもどんどん都会化してしまう。それは勝沼の魅力がどんどん少なくなってしまうことに他ならない。
それってとても寂しい。
だからこそとりあえず、今の自分にできることとして、ぶどう作りの楽しさをより多くの人に伝え、そして共有することを実行している。
でも、今は、決して自分の能力のなさを嘆いたりしない。自分にできることをやればいいのだ。 その内、それは私に任せて!一緒にやろう!そういってくれる人が徐々に集まってくればいつか必ず実現するはずだから。
(黒さん、勝手にイラスト拝借しました。)